2月20日・個人的オタク的な日常
オタクは小難しい
前にも書いたけど、安易な萌えコーナーが失敗するのは「エロい絵のアニメ台を設置しておけばオタクは金を出す」という「思い込み」が原因だと思う。でもって難しいのは、オタクに担当させればOKやろという話でもなく、任せきりになると個人の趣味全開でバランスの崩壊したシマ構成や装飾になるということ。
だから私としては安易に萌え特化店舗にするな、やるなら大宮どんじゃらを見に行って、同じレベルまでできると判断してから手を付けろとしか言えない。
エロのない「ちゃんとしたアニメ」を作れというバカさ
公共の場に萌え絵(批判者にとってはエロ絵)を出すのは問題だと叫ぶ人達も、ジャパニメーションや文化輸出については一切批判しない。なぜなら「ちゃんとしたアニメ」だからだそうだ。
アニメに限らず文学でも映画でもなんでも「これは芸術だから正しい。これは芸術じゃないからダメ」と線引きを行えば行うほどそのジャンルは衰退していくんだよ。だって、クリエイター側が発想に制限をかけるということだからね。
そして批判者は自分が制限をかける側、基準を制定する側に立っていることを疑わない。「問題なのはエロかどうかではなく公共の場にふさわしいかどうか」という意見を多く目にするけれど、まさにその「ふさわしい」の線引きを個々人のお気持ちで制定したら、いずれ何もかもがダメになる。
↑萌え絵ばかり沸騰するのかと思ったら2枚目の女性も広告にふさわしくないと炎上した。でも1枚目はOKなんだって。これは本当に意味が分からなかった。フェミニストからは「誰が見ても分かるでしょう」「もっと勉強してください」なんて言われるんだけど、本気で分からん。
ちなみに私の感覚でいえば3枚とも全部OK。
エクセル美術館
あはは~うふふ~
おまえもか~い!w
あ~っはっはっは!
は? pic.twitter.com/WuCT4sRGqG— roxAC🍁 (@roxasAC) February 17, 2020
すっごーい!
と思ったら上には上がいた。
「その労力があれば」なんて考えるのは無粋な話で、他人とは異なる方向へ労力を費やし、しかも完成までこぎつけるから感動を呼ぶのかもなぁ。