福島第一原発の近くまで行ってみたら、思想を問わず誰もが見ておくべき景色がそこにあった

note書いてます, 社会・コロナ

昨年のnote記事を無料化

震災から9周年なのに報道はコロナウイルスに押され気味。そりゃリアルタイムで死者が増えているのだから仕方ないけれど、東日本大震災だって「今もリアルタイム」だと思うんだよ。

そこで、昨年6月とやや古い記事ですが、福島第一原子力発電所近くまで行ってきた記事を無料化しました。少々長めですが、ご覧いただければ幸いです。そして気に入っていただけたらボンペイnoteを購読いただけるとさらに幸いです。

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note記事のまとめ部分を抜粋

保守派にもリベラルにも、一度行ってほしい

noteでは政治的なスタンスを出したくないので最低限の言葉にとどめますが、政治の右派左派、原発賛成反対を問わず、福島第一原子力発電所近くまで行ってみると良いと思うそして願わくば、現地へ言ったら現地で飲み食いしてほしい

賛成派には惨状を生で見てほしいし、反対派には「生きている福島の人々」を見てほしい。片仮名でフクシマなどと書いて特別視する人もいますけど、あれはね、見てみないと分からないよ。見て、感じたうえで、判断する。そうでないと他人の主義に染まってしまいますよ。

死の町という表現は違うように思います。だって労働者は沢山いるしね。道路はむしろ混んでたりする。案内付きで悲惨な場所のみを見ると簡単に洗脳されるから注意しよう。

帰宅困難区域以外の商店は普通に営業してるし、普通にみんな生活しています。イオンだって普通に営業中だ。勝手に悲劇性を付与するのは現地の人に失礼でしょう。

原発論議となると、現地に生きる福島県民の心がまるっと置き去りにされてしまう。福島に住んでいるわけでもない、災害後行ったこともない人達が、県民の心を勝手に代弁して、現地の人を二重三重に苦しめる。

それはとても悲しいことだし、危険なことだと思うんですね。だからほんの一時間でもいいから、現地へ行ってみる。足を止めてみる。飲み食いして、買い物をして、生活者の目線に立ってみる。

答えなんて出す必要ないし、自分の政治信条を曲げる必要もない。ただ、実際に行って感じることで、胸に去来する言葉は今までと異なった色味を帯びるはずです。その色味こそ、たぶんきっと、未来の福島と未来の日本を作っていく力になる。

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