なぜブログを止めてツイッターをやってるのか
知らないことに口を出すなよと言いつつ、自分は知らないことに堂々と口を出すスタイルへ戻ろうと思ったものの、45歳にもなってそれは通じないよなぁと悩む45歳。
— 吉田圭志(ぼんぺい) (@epachinko) July 29, 2020
とりあえずキャッスル小牧の感想文を書くことにした。見てきたものなら他人の目を気にしなくていいから楽。
自分を縛っていたのは薄く中途半端な業界知識なんだと思い至った。何も知らない人よりは知ってるけど、専門家からみればヘソで茶を沸かす程度の知識。当然穴も多いし、あれこれ嘲笑われるわけですよ。若いうちなら許されたのだろうけれども。
— 吉田圭志(ぼんぺい) (@epachinko) July 29, 2020
15年間ほぼ毎日続けたブログを止めたのは、そんな理由。
例えば「キャッスル小牧に行きました!」ならOKなのよ。「親会社の真城は部品メーカー!」というのもOK。
— 吉田圭志(ぼんぺい) (@epachinko) July 29, 2020
ところが真城についてもう一歩踏み込んで「●●という機械の役モノを作ったんだよ!」と書くと、「いやあれは実質○○社が担当してる。何も知らねーんだなw」となる→
同じように、キャッスル小牧は居抜きというのはOK。昔はマルマンだったというのもOK。ところがマルマンを運営する豊岡商事は~となると「地元の事情も知らないくせにw」となる→
— 吉田圭志(ぼんぺい) (@epachinko) July 29, 2020
ある閾値を超えると「専門家でも無いクセに薄い知識をひけらかしてんじゃねえよバァァァカ」的なニュアンスになるんだよね。
— 吉田圭志(ぼんぺい) (@epachinko) July 29, 2020
突破するには、専門家すら知らない情報を盛り込むか、最初から触れないようにするしかない。そんな部分で葛藤し続けた10年だったように思う→
中途半端な知識が不幸を招くのではないか。だとするならば、見てきたものを見てきたままに記し、過程で得た中途半端な知識は中途半端なままに脳内で泳がせておく。もしくはどこかへストックしておく。
— 吉田圭志(ぼんぺい) (@epachinko) July 29, 2020
知識と知識がつながり、誰も知らない情報となったとき、または真実味が高まったとき、初めて晒す→
なんでもかんでも書くことが商品価値になるってわけじゃないんだよね。専門家の領分に入るものや、本来ならそこまで知らなくていい部分は、知らぬ存ぜぬで通した方がいいような気がする。
— 吉田圭志(ぼんぺい) (@epachinko) July 29, 2020
読む人を不快にする可能性があるなら、少し寝かせておけと。もしくは最初から発信しようとするなと。
— 吉田圭志(ぼんぺい) (@epachinko) July 29, 2020
ブログを書かなくなり、ツイッターでクソほどどうでもいい呟きを繰り返してるのは、まあ、そういうことなんですわ。
寝かせて熟成できた知識、自分の目で確認した情報は、noteに書いていきます。ブログからの広告収入を手放すのは惜しいけど、今の私にとってブログは価値になっていない。
— 吉田圭志(ぼんぺい) (@epachinko) July 29, 2020
読む人の多くを不快にさせるメディア(オウンドメディア)でお金を稼いじゃいけないとも思うしね。https://t.co/8ogZXrSFIu
有料記事はお嫌い、でも吉田の日記は好きというかたは、こちらからどうぞ。無料記事も増やしていきます。https://t.co/2pvwoy7xaV
— 吉田圭志(ぼんぺい) (@epachinko) July 29, 2020
毎日複数回の更新が負担にもなってたし、定期的にやってくるブログの見直しってやつです。Googleの目や広告単価を意識して書くのもイライラしてたしね。