母の容態|膵臓ガンと余命宣告

2021-01-05 16:14母の介護

明るい話ではないので、興味の無い方は飛ばしちゃってください。

11月下旬に退院して以降、自宅で生活していました。オキシコドンという痛み止めを使っているものの、完全にコントロールできるわけではなく、日に日に弱っていくのが見て取れます。

ただ、少なくなったとはいえ、食事はできていた。丹精込めて育てた庭の植物にすら興味を失い、好きだった料理もやらなくなった。御朱印をもらいに連れ出すものの、表情に以前のような明るさは無い。

急変したのは12月20日頃。強い吐き気を覚え始め、食事をまったく受け付けなくなります。水分こそ取れていたので、訪問看護師に相談したところ様子を見ることになりました。

しかし、23日になっても吐き気は強まるばかりなので、主治医のいる日医大(=日本医科大学千葉北総病院)へ電話し、外来。そのまま緊急入院となります。

12月29日からオキシコドンはモルヒネに変わり、それまで悩まされ続けた下腹部の痛みは大分和らぎました。家族で相談の上、医師から余命宣告を受けます。残り2~3ヵ月と。母は納得したように(あるいは自分を納得させようと)何度も頷いていました。僕はというと、「あれ、先月も残り2ヵ月っていったじゃん、延びたのか??」などと考えていました。

その後も吐き気は止まらず。精神的なものではないかと鬱病の薬を投与するも変わらず。念のためもう一度胃カメラで奥まで見てみたところ、胃の出口(幽門)が狭くなっていました。

どうやら大きくなった膵臓ガンにより内臓が引っ張られ、ときおり幽門を塞いでしまうらしい。飲み食いしたものが胃から出ていかないのだから、そりゃ吐くわ。前回の調査ではたまたま開いていたから分からなかった。

1月4日、母、僕、妹の三人で、医師から説明を受け、胃と腸をつなげるバイパス手術をすることに。割とメジャーな手術らしく、消化器外科の主治医は「任せておけ」くらいの自信に満ちていた。

それでも術後に腹膜炎を発症すれば大変なことになる、成功率は9割を超えるけどリスクもある、特に身体が既に弱まっているし、そもそも吐き気を改善できないケースもあり得ると。

全てを聞いた母は「ドクターエックスの世界だわこれ」と発言し、医師と看護師を笑わせてました。

医師「大門ミチコみたいに失敗しませんと言えればいいんですけどねぇ。今そんなこと言ったら大変な世の中です」

先生、合わさんでいいから。

というわけで1月15日前後に手術となります。術後の経過を見つつ、転院。 これまで自宅での療養と緊急入院を5回も繰り返しているため、近くの緩和ケア病院(ホスピス・ターミナルケア)に入り、家族が毎日遊びに行く形を取ります。吐き気も痛みも無い日は自宅で泊まるという格好です。

コロナの影響で見舞いは「立ち話・距離2m・一人のみ」と厳しく制限されています。家族3人で話せるのはカンファレンス室で医師から説明を受けた“ついで”のみという状況。

余命や症状を親戚に話すか否か、葬儀はどうするかといったデリケートな話題も一気に決めました。葬儀は流行の“直葬”でいいとのこと。病院から火葬場へ直行させるというやつ。

コロナもあるし、印西は引っ越してきたばかりで友人も少ない。葬式をしないスタイルは、かねてから話し合っていたこともありスムーズに決まりました。市営の火葬場は病院から車で15分ほどだし、墓地は火葬場の隣に確保してある。棺には花とダンス服を入れて燃やしてほしいとのことでした。

親戚へは私からメールを送りました。ちょうどカナダの叔父もガンで闘病中なので、なんかもう色々とたまらない。叔母は見舞いに来たがっていましたが、これまたコロナで入国できなくなってしまった。ほんと、動けるうちに訪問しておいてよかったよ。

言い方は悪いけど、入院中は家事も介護もありませんから仕事を進められます。食事と買い物、風呂掃除くらいかな。

ま、そんな感じです。

2021-01-05 16:14母の介護

Posted by epachinko