結婚したのなら幸せになりなさいよ
さすがに46歳ともなれば「早く結婚しなよ」とは言われなくなりました。
「まだ遅くはない」とは言われるけれど、人生という名のG1レースで、大外を回るどころか途中で止まってしまった人間にとって、むしろケガなくゴールできることこそ最良ではないかと思う。
そもそもこれは煌びやかなG1レースではなく、勝てなきゃ馬刺しになる未勝利戦かもしれない。
さすがに馬刺しは嫌なので、ゴールを目指し走っていたら、結婚しなよと言われ続けた頃になんとなく感じた、違和感の正体に、ふと気付いた。
そうか、あの人達は「幸せな人生」を願ってくれていたんだ。
あの時の僕は「転生後にハーレム作りますから心配無用です」などと返していた。なんでもっと素直に好意を受け取らなかったんだろう。嫌なやつだ。
僕は基本的に不幸を避けたいタイプで、だからなのか、他人からの好意に物凄く鈍感です。それで多くの不快をばら撒いてきた。ごめんなさい。
幸せを願ってもらったのに刺さらなかった理由は簡単で、結構幸せなのよね。
今この記事を書きながら飲んでる野菜生活100はとても美味しくて、幸せ。昨日作った豚の生姜焼きを母は美味しそうに食べた。幸せ。Amazonから届いた漫画は思いのほか面白かった。幸せ。パチンコでは負けたけど、ボーダー越えたから、まあ、ギリ幸せ。
結婚すれば不幸を減らせるのかしら。
それはとても素晴らしいことだと思う。
奥さんと一緒に、不幸を減らし、越えていく。
だからこそ、伴侶を不幸にしてはいけないし、離婚という不幸は可能な限り回避したいのかな。
……と、ここで、そもそも離婚は不幸なのか? むしろ幸福になるケースもあるのではないか? と思い至り、そりゃワイは馬刺しになるしかないなと結論付いた。