吉田さん、創価学会を脱会する
noteに書きました。
さすがに書くかどうか悩みましたが、隠す気も無いし、創価学会そのものを恨んでるわけでもないので、全て晒しました。
前編・なぜ信心する気も無いのに学会へ在籍し続けたのか
中編・なぜ脱会する気になったのか(そもそも脱会は可能なの?)
後編・異教徒の本拠地へ
長いっす。
以前にも書きましたけど、自分、宗教的にニュートラルなんですよ。 宗教の話を聞くのは好きだし、その信仰を否定することは決してありません。創価学会だろうが顕正会だろうが、エホバだろうがサイエントロジーだろうが、信じたいものを信じればいい。
ただし、他人に強要するな。法を犯すな。
僕は、仏法のような倫理的な〝法〟よりも、実体法としての〝法律〟を尊重します。日本国民は思想信条の自由が保障されており、当然のこととして信仰を拒否することもできる。
今回、それが踏みにじられたと感じたので、脱会、退会を決意しました。
意外かもしれませんけど、学会員の中には、会合(座談会)へ顔を出さず、公明党に票を入れず、信仰のシの字もない人は沢山います。人間関係を壊したくないから聖教新聞だけ取ってるとか、名前だけ入会してるとか、割といる。
そりゃね、公称800万世帯の信者数ともなれば、全員狂信者ってわけじゃないですよ。一般人もいれば人格者もいる。そうでなきゃ公明党の議員が、利権まみれになりやすい国土交通大臣のポストを10年以上も不祥事無しに務められませんって。
つまり、学会そのものよりも、どんな信者と出会うかで大きく異なる。
「創価学会に苦しめられた」という話は沢山あるものの、我が家と学会の関わりは、これまでずっと平穏でした。
現在の地に引っ越してくるまでは。