そのレシピは間違ってます|なぜコメントが上から目線になってしまうのか
ナポリタンにはソーセージが必要に決まってる!?
この記事に対して面白いコメントをいただきました。
レシピ系は時に、各人の主観のぶつかり合いで時に荒れると思います。
で。なぜ、ソーセージが具材にないのですか? 高価なものより安価なものがいいと思います。どうしてもなければ魚肉ソーセージでも構わないかと。今回のレシピでしたらトマト投入のタイミングで結構(味さえ絡めば後入れでいいと思います)だと思うのです。
書いてみてて、上から目線っぽい文章書くのって簡単なんだなって感じました。普段文章書くときの推敲、ほぼゼロですわ。むしろ本業じゃないんでそれっぽく上からっぽく書き直したくらい。
#こーいう口調で色んな人攻めてくるんだろうから、Twitterを面白いとは言われるでしょうけど疲れるところもありませんでした?
これに対して回答を試みます。
上から目線で書いてしまう理由
上から目線の文章が簡単なのは、自分の好みを書くだけでいいから。
自分が好きな物は、自分の中で正義そのものです。それを主張するのは簡単だし、否定されれば腹が立つ。北の国からさんが仰るとおり、主観の対立です。だから荒れる。
自分と対立する人や意見を「変えたい」と思ってしまうのね。
人間は簡単に変わらないから、自説の正しさを強調してしまう。その強調が「上から目線」の正体ではないでしょうか。
コンテンツ提供側は“かわす”のが基本
上から目線で責められた場合、こちらの正義と対立する格好になるため争いになります。疲れます。だから受け入れちゃう。
今回の場合は「あ!ソーセージ入れてませんでしたね!ご指摘ありがとうございます」とか「挽肉なのは、単純に冷蔵庫の中にあったからw 次は魚肉ソーセージを試してみようかな?」と、かわす。
ただし、自説を曲げっぱなしだとコンテンツを提供する意欲そのものを根こそぎ持って行かれちゃうので、工夫する。
具体的な対処方法
自分なら「ソーセージで試してみましたが、コクの面で挽肉には劣るかな。ただし香ばしさと塩味は出るので、気分次第で変えてみるのも良さそう」と、試した上でどっちも好き(あるいはこっちが好き)と感想を返す。
荒技としては、「今回も挽き肉を使いました!」と、ソーセージを使わず作り続ける。侮辱されたと感じたソーセージアドバイザーは去ってくれるでしょう。
影でアンチになりそうですけどね。
面倒臭い人もいる
ソーセージを使って「美味しく作れました!レシピありがとう!」と盛大な感謝を送った場合、相手によっては逆に面倒臭くなります(アイツはワシが育てた系の人だと大変)。
そうなってしまったら、逆に圧倒的なマウントを取るのも面白そう。
シャウエッセン系3種、ウイニー系4種、魚肉ソーセージ系2種、挽肉系2種で作り比べた結果こうなりました! ●●さんはどれが好きですか? 的な。
ここまで比較すれば立派なコンテンツになりますし、ネットメディアに取り上げられればPVも伸びて広告収入にもつながりそうです。