パチンコ台をもっと好意的に見たい

スロット台, パチンコメーカー, パチンコ台

打ち始めた瞬間に文句を言い、それどころか座る前から盤面を見てチクリと言い、それどころか事前に機種名を聞いただけで半笑いの否定をかます。

そういう、あざけりの螺旋から降りたい

ファミコンの父が亡くなった報道を見て、そういえば〝クソゲー〟って、ゲームをやり抜いた後にジャッジしてたよなと思った。少なくともSTARTボタンを押す前はワクワクしてたし、ファミコン通信やハイスコアを見た段階で半笑いなんてしなかった。

子供の頃、僕達は、自分で体感してからジャッジしていたはずなんだ。

最初から否定するのは〝老化〟だと気付いた。

打ってクソだと思ったなら、クソな理由を言えるはず。スペランカーやたけしの挑戦状がクソゲーな理由、今でも言えるもの。パチンコは言えない。なぜならそこまで打ってないから。「渋釘すぎて打てないよ」とは言い訳で、1パチだろうと0.2パチだろうと、触れる手段はあるはずで、時間が勿体ないと思うなら夜中のネットを止めればいいだけの話なのよね。

僕はきっと、パチンコはもう楽しくないのだと、諦めていた。色眼鏡で見ていた。

確かに面白くも何ともない機械はあるし、「規則上仕方ない。それを分からないお前は無知だ」と、開発者からの嫌味も聞こえてきそうだけど、少なくとも深めのリーチをいくつか体感するまでは、黙って打ってもいいんじゃないか。

人間、歳を重ねるとジャッジが早くなる。経験に裏打ちされ、良い悪いを判定できるようになる。ジャッジの早さは全能感、自己有能感へつながり、パターン化した思考に囚われ、老害と化す。

とてもとても難しいんだけど、否定せずしばらく打ち続けること、興味を持って座ることを取り戻したい。

パチンコは、もっと楽しいはずだから。