何があっても報いを受けさせる

社会・コロナ

「どんな手段を使っても報いを受けさせる」

その執念を理解できる人は、クリエイターに向いてると思った。社長業にも向いてる。ヤクザにも向いてるのかもしれない。

半沢直樹は知的レベルの高いサイコパスと思うんだよね。躊躇なく倍返しを実行できる人は、その手段において強いクリエイティビティを発揮する。それは即ち、作者である池井戸潤の能力でもあるのだろう。

僕は一度だけ、報復のために突き進んだことがある。相手の素性、家族、経歴を調べ上げ、弱点は嫁さんの宗教だと見た。それに気付いてから3ヵ月ほど寝かし、相手が発信したブログやSNSから何の宗教かを見つけ、その宗教を学び、関係者に探りを入れ、宗教法人の本部へ単身乗り込んだことがある。

結果は置いとくとして、やってる間は心安まることが無かったし、目的を達成した後も気持ちよさなんて微塵も無かった。自分に報復は向いてない、自分はサイコパスになれない(当時そんな言葉は一般的じゃなかったけど)、とことん自分はクリエイティブじゃないと痛感した。

ないないって何回書いてんだ。

普通はね、壁に当ったとき諦めるんだよ。不可能な現実と折り合いを付けて納得させる。そうしないと日常生活に影響出ちゃうから。報復だろうと事業だろうと創作だろうと、壁を突破できるクリエイティビティを持った人間は、執念深い。一文字で表すなら“業(ごう)”。

怖いんだよ人間は。怖くて、凄い。

実際、報復を実現する話は喝采を集めやすいでしょ。

社会・コロナ

Posted by epachinko