詳しい解説・正しい解説は不要
ちょっと考えさせられたツイート。
本来のジャーナリズムは、「分かりにくいけど正しい内容の専門家解説」を、一般庶民に分かるよう翻訳するのが仕事だった。なのにジャーナリズムは仕事を放棄し(おそらく怠惰がゆえ)、ひろゆきや池上彰、橋下徹らにアウトソーシングしてしまった。
当然、個人の〝お気持ち〟が主役となり、情報の正確性はどこかへ行ってしまう。醜態を晒したのはコロナ関連で、自称専門家や、専門家ですらない人達の遊び場と化してしまった。国民の命がかかってるのにね。
ウクライナ情勢は、「伝えること」の重要性を知っている防衛研究所(防衛省直轄の教育機関)が職員を積極的に派遣するため、ジャーナリズムの怠惰を予防し、マスコミは本来の「一般庶民に分かるよう翻訳」できている。間違えた場合は専門家からその場で指摘が入る。
お花畑は出番がない。世界平和のためには人々の連帯が~、憲法を守ることこそ~、平和を求める祈りが~、など、ふわっとした理想論しか語れない人は、発言時間をゴリゴリ削られている。そんなもので平和は維持できないと、国民は気付いたんだよね。必要なのは現実主義者であると。
ただその一方。「お気持ち素人の簡単解説」は今後も力を持ち続けるだろう。僕自身、ゆっくり動画でさえ15分以上はキツいし、20分以上だともう最初から見るのを放棄しがち。
朝日新聞より東スポ、落語よりコント、ブログよりツイッター、YouTubeよりTikTok、週刊少年ジャンプよりピッコマ。切り刻まれたショートコンテンツ、分かりやすさ優先。
そう考えたとき、3000文字を超える僕のnoteは正しいのか不安になる。1000文字20回発行にする? なんて考えたりもするけど、「全部伝えたい」気持ちで書き上げるタイプなので、表層だけサラッと流すのは不得手。
ほら、この記事だって無駄に長い。
短くするのって、ほんと大変なんです。
最初から割り切って、正確性不要で書き始めれば、調べる時間も不要だし楽なんだけど、調べた上で短くするのは困難を極めます。
ただ購読者から、「吉田圭志に短さは求めてねーよ」と思ってもらえてるんじゃないか、その柔らかな確信はある。
読者さんに甘えてるだけなのかもしれないが。